これに触発されて書いてみたくなったので書きました。
ゴジラシリーズがその60年以上の長い歴史の中で何度かの休止と復活を繰り返していることは有名ですが、最初の休止は意外にも早く、第1作『ゴジラ』(1954年)の大ヒットを受けて急遽制作された第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)から第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)までの7年間です。
ただし、この期間はゴジラシリーズが制作・公開されなかっただけで、怪獣映画をはじめとした数多くの特撮映画を東宝は制作・公開しています。
そもそも、この頃はまだゴジラは東宝にとってあくまでも数ある特撮映画のうちの一つに過ぎず、ゴジラシリーズという概念もなかったのではないかと思われます。ゴジラシリーズという概念がなければシリーズ休止という考えも存在せず、たまたまちょっと間が空いた、くらいの感覚かもしれません。
ちなみに、『空の大怪獣ラドン』(1956年)や『モスラ』(1961年)といった後にゴジラシリーズに幾度となく登場する事になるスター怪獣はこの期間に生まれています。
昭和シリーズ
次の休止は昭和シリーズ最終作の『メカゴジラの逆襲』(1975年)から『ゴジラ (‘84)』(1984年)までの9年間で、一般的にはこの時期が最初のシリーズ休止期間となります。
1954年に誕生した『ゴジラ』が1962年の『キングコング対ゴジラ』以降シリーズ化され、そして1975年の『メカゴジラの逆襲』を最後にシリーズが一旦終了に至るまでの経緯を簡単に見てゆくにあたり、まずは歴代ゴジラシリーズの観客動員数をご覧いただきましょう。
『メカゴジラの逆襲』でシリーズが一旦終了した理由は一目瞭然、動員が見込めなくなったからです。
『キングコング対ゴジラ』でシリーズ最多の観客動員数を記録して以来、動員数はほぼ右肩下がりとなっています。
それでは、なぜ観客動員数はここまで落ち込んでしまったのでしょうか?
「初代ゴジラで描かれていた反戦・反核のメッセージが薄れてしまった」「当初は恐怖の対象であったゴジラがシリーズを経るにつれて単なる正義の見方に落ちぶれてしまった」といった事を語りたがる人も多いかと思いますが、話はもっと単純です。
それは、人々が映画そのものを見なくなったからです。
以下の統計をご覧下さい。
(参考:過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟)
これは、日本の人口と映画産業に関する推移です。
「映画人口」は映画館で映画を見た人の延べ人数、「映画人口/人口」はそれを人口で割った数で一人あたりが1年間に映画館で映画を見た平均回数、「ゴジラ比率」は映画人口のうちゴジラ映画の動員数の比率を表しています。
1950年代後半から1960年代前半にかけて日本映画界は「日本映画黄金時代」という時代を迎えます。
1958年には映画人口が11億2745万人を、1960年には映画館数が7,457館を記録し、それぞれ史上最高数となっています。
1960年の映画人口/人口は10.8で、この頃の日本人は年間平均10回前後も映画館を訪れていた事になります。
1953年からテレビ放送が始まったとはいえその普及率はまだ極めて低く、しかもそのほとんどはモノクロであったため、ワイド/カラーの映画は人々の娯楽の中心たり得たのです。
この時期に制作・公開されたゴジラ映画がどれも高い動員数を記録しているのにはこうした時代背景が大きく影響しています。
しかし、1950年代後半に量産体制に入ったテレビは以後加速度的に普及してゆき、その普及率と相反するように映画人口・映画館数は急速に減少してゆく事となります。
さらに、高度経済成長が進むにつれてテレビ以外にも多種多様な娯楽が人々の間に浸透していったため、映画がかつてのような国民的娯楽の座を保ち続ける事はもはや不可能となってしまいました。
この映画産業の落ち込みと連動するようにゴジラシリーズの動員数も下がり続けます。
東宝でも、ある程度の人気が見込める怪獣映画と戦争映画を残して、制作費のかかる特撮映画の制作本数は1960年代後半以降減少してゆきます。
しかしながら1970年代になっても続くシリーズの低迷と映画業界全体の不況の煽りを受け、その怪獣映画でさえも予算が大幅に削減される事となり、この時期の作品は大掛かりなセットを組む事ができずに特撮シーンはいわゆる怪獣プロレスと旧作からの使い回しでお茶を濁すという事態にまで陥ってしまいます。
(1970年には円谷英二の死去と東宝内での特撮スタッフ組織再編による混乱があった事も付け加えておきます。)
そして、1975年の『メカゴジラの逆襲』が歴代ワースト1の観客動員数を記録した事によって東宝は怪獣映画からの撤退を決定し、ゴジラシリーズは一旦の休止期間に入ります。
(『メカゴジラの逆襲』以降の1970年代後半に制作・公開された東宝特撮映画は『東京湾炎上』『大空のサムライ』『惑星大戦争』のわずか3本だけであり、東宝特撮そのものが冬の時代を迎える事となります。)
なお、昭和シリーズの映画人口に占めるゴジラ動員数の比率は、『キングコング対ゴジラ』が史上空前の動員数を記録した1962年と『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』の2本が公開された1964年を例外として除くと、だいたい0.5~1.5%程度となっています。
観客動員数という絶対的な指標で見るとその数値は確かに大きく下がっているものの、映画人口そのものが大きく下がり続けた中でゴジラシリーズは相対的にはある程度のシェアを維持していたという点はフォローしておきます。
平成vsシリーズ
1978年には、ゴジラシリーズをはじめとしたほとんどすべての東宝特撮映画を手掛けてきた田中友幸プロデューサーの主催で早くもゴジラ復活のための会合が開かれます。
一方、1980年代に入るとビデオの普及によってシリーズの旧作を簡単に見られるようになった事で新しい若い世代のファンが誕生し、かつてのファンに加えてこの新しいファンからもゴジラ復活を望む声が次第に強くなってゆきます。熱心なファンによって研究会や私設ファンクラブが組織化されるとともにその活動は活発化し、ゴジラ復活への期待はさらに高まります。
こうして1983年にゴジラ映画制作再開の企画がスタートし、翌84年には東宝に「ゴジラ委員会」が設置され、同年に制作・公開された『ゴジラ (‘84)』で9年ぶりの復活を果たします。
『ゴジラ (‘84)』は観客動員数320万人という大ヒットを記録し、次作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)を経て『ゴジラvsデストロイア』(1995年)に至るまで「平成vsシリーズ」として再びシリーズ化されます。
平成vsシリーズの作品の観客動員数は概ね300~400万人で、昭和シリーズ前半と同程度の高い動員数を記録しています。
映画人口に占めるゴジラ動員数は2.0~3.0%前後で、これは『キングコング対ゴジラ』の1962年や『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』の1964年の比率をも上回る高さです。
(平成vsシリーズは年末公開が慣例であったため、配給収入は翌年のもの。)
上記の表は平成vsシリーズ各作品の興行成績をまとめたものですが、シリーズ全作が邦画配給収入ランキングでTOP10入りしており、しかもそのほとんどが1位や2位という結果を納めています。これは昭和シリーズの頃には見られなかった現象です。
客観的に見てゴジラが最も存在感を放っていたのがこの平成vsシリーズの頃だったと言えるでしょう。
それでは、平成vsシリーズはなぜここまでの人気を獲得できたのでしょうか?
平成vsシリーズは個々で見てもシリーズを通して見ても優れた作品であったとは思いますが、これは平成vsシリーズ直撃世代である自分だから特にそう感じるのだという点は否定できませんし、逆にこのシリーズをあまり評価していないファンがいる事も事実です。
ここで一つ考えてみたいのは、1980年代前半は「怪獣氷河期」とでも呼ぶべき時代であったという事です。
昭和ゴジラシリーズが『メカゴジラの逆襲』(1975年)で終了したのは既に述べた通りですが、ゴジラに次ぐ人気と知名度を誇ったガメラも『宇宙怪獣ガメラ』(1980年)で昭和シリーズが結果的に終了(前作『ガメラ対深海怪獣ジグラ』の公開は1971年なので、この2作間でも大きく期間が空く)、ウルトラマンも『ウルトラマン80』(1980~1981年)を最後にテレビシリーズが休止となり(前作『ウルトラマンレオ』の放送は1974~1975年なので、こちらもこの時点で既に若干の空白期間がある)、1980年代前半はめぼしい怪獣や巨大ヒーローが揃ってその姿を消していた時代なのです。
仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ、メタルヒーローシリーズといった有名特撮作品は確かにこの時期も制作・放送されており、こちらにも巨大メカや怪人が一部登場しはするものの、そのメインはあくまでも等身大のヒーローや怪人であり、ミニチュア特撮を主とするゴジラやウルトラマンとは性格が異なります。
自分はこの時代をリアルタイムで経験していないので想像になってしまいますが、こうした状況の中で怪獣に飢えている人が一定数存在した。そして、その需要を上手く拾い上げたのが平成vsシリーズだったのではないでしょうか。
さらに、ガメラが平成シリーズとして復活するのは1995年、ウルトラマンがテレビシリーズとして復活するのは1996年になってからなので、この時期のゴジラはこうした怪獣需要をほぼ独占できた事になります。
ミレニアムシリーズ
平成vsシリーズは好評のうちに1995年の『ゴジラvsデストロイア』を以て終了しましたが、これは1996年公開のハリウッド版『GODZILLA』に配慮したもので、1996~1998年にかけて東宝は平成モスラシリーズを新たに制作・公開しています。
ハリウッド版『GODZILLA』の興行成績が思ったほど振るわなかった事もあり、平成vsシリーズの終了からわずか4年後の1999年、東宝は『ゴジラ2000 -ミレニアム-』で早くもゴジラを復活させます。
こうして制作・公開されたのが「ミレニアムシリーズ」です。
ところが、平成vsシリーズの観客動員数が300~400万人を記録していたのに対し、ミレニアムシリーズは100~200万人程度と半分以下に激減してしまいます。
結局、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)を以てミレニアムシリーズは短命に終わります。
なお、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)は240万人とまずまずの観客動員数を記録しているように見えるものの、これについてはすぐにピンと来る人も多いでしょうが、『とっとこハム太郎』との同時上映によるところが大きいと思われます。
ミレニアムシリーズでの人気凋落について、「『ゴジラ2000 -ミレニアム-』がゴジラ復活の狼煙を上げるにはあまりに微妙な出来だった」「ハム太郎との同時上映でゴジラは死んだ」「ミレニアムシリーズは単純に面白くない」といった意見が出てきそうですが、もっと他に何か大きな要因はなかったのでしょうか。
まず、前回の復活は需要側であるファンからも声が上がって起こった事だったのに対して、この時の復活は供給側である東宝の事情が大きかったという事です。
実際、『ゴジラ2000 -ミレニアム-』公開当時に「『ゴジラvsデストロイア』であれだけ大々的かつ感動的に終了させたのにもう復活させるのか」と当時の自分は正直感じました。
はっきり言って復活が早すぎたのです。
さらに、1995~1999年にかけて平成ガメラ3部作が制作・公開されたり、1996年の『ウルトラマンティガ』以降コンスタントにウルトラシリーズの新作がテレビ放送されていたため、1980年代前半の怪獣氷河期の頃とは事情が違っていたという事も考えられないでしょうか。
また、世界観やストーリーが繋がっていた平成vsシリーズとは違い、ミレニアムシリーズは機龍2部作(『ゴジラ×メカゴジラ』『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』)を除いてそれぞれの作品が独立していたため、ファンを毎回劇場に足を運ばせるだけの動機付けができなかったのではないか、という事も考えられます。
2016年、今までで最も長い12年という休止期間を経て、ゴジラが復活します。
今回の復活は、レジェンダリー版『GODZILLA ゴジラ』(2014年)の世界的大ヒットを受けて東宝がゴジラは「やはり愛されている」 と再認識したからだそうです。
制作発表の2014年の時点で前作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)から既に10年経っていた事やレジェンダリー版の興行成績を踏まえて、そろそろゴジラを復活させてもいいだろうと考えたのかもしれません。
今後、新たにシリーズ化されるのかどうかは今作のヒット如何に懸かっているのでしょうが、今は素直に国産ゴジラの復活を喜ぶとともに公開を楽しみに待ちたいと思います。
ちなみに、『ゴジラ FINAL WARS』公開当時、東宝はこの作品を以てゴジラシリーズ累計観客動員数1億人を突破して有終の美を飾る事を目論んでいましたが、結果は歴代ワースト3の動員数100万人で、累計1億人には数十万人足りませんでした。
『シン・ゴジラ』が仮に大コケしたとしても100万人程度の観客動員数はさすがに見込めると思われますので、累計1億人を突破するのはほぼ確実でしょう。それだけでもこの映画が制作・公開される意義はあると言えます。
おわりに
長くなってしまいましたが、これでも60年以上にも及ぶゴジラシリーズを表面的に駆け足で見てきたに過ぎません。
個々の作品やシリーズの映画としての出来不出来や優劣といった観点ではなく、なるべく客観的・包括的に考えてみたいと思ってここまで書き進めてきましたが、何だか大袈裟なタイトルをつけてしまったがために結論をどうするか実は自分でもよく分かっていなかったりします。
(ちなみにタイトルの元ネタは、ゴジラファンで『ゴジラvsビオランテ』にゲスト出演もしているデーモン閣下率いる聖飢魔IIの「WHO KILLS DEMON? ~誰が悪魔を亡きものにするのか~」という曲名からです。)
ありがちで抽象的な決まり文句になってしまいますが、無敵の怪獣王ゴジラといえど時代には勝てなかったという事でしょうか。
時代の流れがゴジラを葬り去り、その時代がまた流れ流れて再びゴジラを必要とする時が来る。結局そんな事の繰り返しなのかもしれません。